1946年3月21日、長野県木曽福島に生まれる。
早稲田大学文学部卒業。父はヴァイオリニスト、母はピアノ教師、さらに叔父は世界的に有名な「鈴木メソッド」の創始者という音楽一家に育つ。早大モダンジャズ研究会に入りピアノを担当。卒業後ピアニストとしてプロ入りし、その後ヤマハ音楽教室で渡辺貞夫に師事。彼の勧めもあってベースに転向する。
1969年〜'73年までの間、渡辺貞夫グループ、菊池雅章グループでベーシストとして活躍。'73年10月に渡米し、ニューヨークに居を構えて活動開始。74年スタン・ゲッツ・グループ。'75年〜'76年アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズのレギュラーベーシストとして活躍。'76年〜'80年ビル・ハードマン&ジュニア・クック・グループに参加。また、デイヴ・リーブマンを擁した自己のグループでもニューヨークを中心に活動。
さらにソニー・ロリンズ、リー・コニッツ、チェット・ベーカー等とも共演。同時にクラシック作曲法の個人レッスンを受け、ジャズ・フィーリング、クラシックの素養、日本人としての感性をミックスさせた独自の世界を築き、'85年帰国後、自己のグループMATSURIを結成。
'93年に野力奏一(key)、藤陵雅裕(sax)、セシル・モンロー(ds)の実力派ミュージシャンによる自己のニュー・グループEAST BOUNCE(イーストバウンス)を結成。6月にEAST BOUNCEのデビュー・アルバム「KISSES ON THE WIND」をリリース。'95年に「BEST OF EAST BOUNCE」が全米でリリース。米NACチャートでおおいに盛り上がり特にニューヨークのFMラジオ・ステーション「CD101.9」ではEAST BOUNCEの曲がオン・エアーし続けられた。2002年に、9年続いたEAST BOUNCEを解散。
その後、2001年に立ち上げた新グループBASS TALKで本格的に活動開始し2004年10月には新譜「MOON AND BREEZE」を発表。その発売記念及びデビュー35周年記念コンサートを青山草月ホールにて開催。2005年6月にはBASS TALKでエストニア、スウェーデン、ラトビア等2週間に渡ってのツアーを行い共に大好評を博す。2006年6月には JVC JAZZ FESTIVAL NYの一環でNYの「SWEET RHYTHM」にも出演した。
2008年3月には草月ホールで40周年記念、そしてBASS TALKの集大成としてのコンサートを開き、全国65ヶ所に及ぶ「Love Letter」プロモーションツアーを行った。
SWING JOURNAL誌「日本ジャズメン読者人気投票」では2004年から2006年の3年連続でBASS部門の1位に輝く。‘チンさん’のニックネームでファンから親しまれ、日本ジャズ界のリーダー的存在である。